AJ代表日記

AJ代表 森田汐生のつぶやきを記します

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ブログを移行します

ウェブが新しくなりました。http://www.assertive.org/index.shtml

4月よりアサーティブジャパンのホームページをリニューアルいたしました。

リニューアルに伴い、こちらの「AJ代表日記」もこちらに移行いたします。新しいウェブ上のブログをぜひ「お気に入り」に登録して下さいね。

新しいウェブ上で更にアサーティブネスを深めていけたらと思っています。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。

アサーティブジャパン代表理事
森田汐生
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アサーティブネスは自分自身であることから始まる

アメリカに始まりイギリスからヨーロッパに広がったアサーティブネスの考えですが、必ずしも本来の意味での概念が広がったわけではありませんでした。

私がイギリスにいた1991年、アサーティブネストレーナーの養成講座に出るということを職場の同僚に伝えたら、「じゃあ、ボスになるわけね」と敬遠されたのを覚えています。 1990年代初めのイギリスにおいて、アサーティブであることは必ずしもポジティブなイメージだけではなかったようです。

では、アサーティブであるとは欧米ではどのようにとらえられているのでしょうか。

イギリスで長年アサーティブネスを伝えている第一人者、アン・ディクソン氏は、 著書『大事なことを思い通りに伝える会話術』(アン・ディクソン著 角川書店  2002年)の中で、一般にイギリスで持たれているアサーティブネスのイメージについて次のように述べています。

「アサーティブな行動とは、攻撃的な行動をビロードでくるんで表面を柔らかく見せているだけ、というものだ」

「アサーティブな人は自信満々で、はっきりものを言い、準備万端、物ごとに動じず、無敵で、何事についても効率的に処理し、いつでもあらゆる点で勝者となる人だ」

本当はそうではない、というのが彼女の意見です。

日本にアサーティブネスが入ってきて30年以上がたちますが、日本でも同じような画一化されたイメージが広がりつつあるように私自身も感じることがあります。

アサーティブであるとは、いつも微笑んでいて、いつもスマートで、いつも正しくて、隙のない完璧なスーパーウーマン/マン。スマートに「何を」「どのようにしてほ しい」とはっきり言いさえすれば、それはアサーティブであると勘違いされている部分があるようなのです。

例えば、アメリカでのアサーティブネスの本のタイトルに、「Get what you want without hurting others」(相手を傷つけないで自分のほしいものを手に入れる)というものがあるのが典型的でしょう。

アサーティブであるということはそうではなくて、もっと 「人間的」なコミュニケーションであるとアン・ディクソンは述べています。

何を言われても微笑んでいる、どんな批判にも動じず正論で返すというのは、ロボッ トと同じではないか。アサーティブネスはロボットの会話ではなく、人間同士のコミュニケーションです。人間であれば傷つくこともありますし、動揺したり混乱したりすることもある。落ち込むこともあれば、間違ったり迷ったりすることもある。そんな自分の態度や行動も認めて、自分の感情に正直になった誠実で謙虚な態度であると彼女は言います。

アサーティブな表現は「自分自身であること」を出発点としています。自分自身が本当に何を感じ、本当に何を求めているかを、自分自身に問 いかけるところから始まる。それがアサーティブネスの出発点となっているのです。

『断る力』

先日の2月19日に、勝間和代さんが『断る力』という書籍を出版されました。この本のテーマはずばり「アサーティブ」。わかりやすく、『断る力』と表現されていますが、しっかりと自己主張ができること、断ることの重要性に触れた本です。

アサーティブジャパンの紹介も載っている!ということで、発売当日に私も購入して早速読みました。書籍の中で勝間さんは、なぜ「No」と言う必要があるのか、自分の中で何を軸として「No」と言うのかということをしっかりと説かれていて、とても説得力のある本となっています。

私自身、「アサーティブ」という言葉により多くの方が触れていただけるという点で、大変嬉しいものです。自分の意見を誠実、率直、対等にしっかりと伝えることのマインドとスキルを持つことは、私たち日本人にとってはますます必要となっていると思うからです。

この本で重要だと思うのは、勝間さんがなぜ「No」を言う必要があるのかという「哲学」についてしっかりとお書きになっていることです。

私たちアサーティブジャパンが広めようとしているアサーティブネスは、「人間関係における対等性や誠実さ、率直さ」などを軸とした大変漠としたものであるために、時として自分の都合のいいように解釈されることがあります。その結果、講座の中でも、「それは単なるわがままじゃないの?」「そんなことにNoと言っちゃダメじゃないかな?」と思うようなケースに出会うことがよくあるのです。

コミュニケーションの「軸」がないまま、アサーティブに「No」と言うスキルだけが一人歩きすることに危惧を感じ、「単にノーと言えばいいってもんじゃないのになあ・・・」と一人悩むときもありました。

勝間さんが非常にわかりやすく、自分の軸や他者との協力関係、対等な関係を築くという視点での「No」の概念をはっきりと示してくださったことは、大変大きな意義があると思います。

アサーティブという言葉に触れ、「具体的な伝え方」を知りたいという場合は、ぜひ私たちの講座にいらしてくださいね。自分の軸を考えなぜ断りたいのかをよ~く考えた上で、実際にどうしたら誠実に、率直に、対等に、そして自己責任を持ってアサーティブな伝え方ができるのかを学べると思います。

アサーティブであるための三つの視点

「アサーティブである」とは、どのようなことを意味するのでしょうか。
私は、三つの視点からアサーティブであることが必要であると考えています。

一つは、態度がアサーティブであることです。

態度とは、言い方や振る舞い、伝える内容なども含め、行動や態度の全体をいいます。態度としては、「凛としている」というのがぴったりでしょうか。英語では、「Direct and Firm」となります。

相手を責めるでもなく自分を責めるでもない。居丈高になるのでも卑屈になるのでもない、凛とした静かで落ち着いた態度のことです。

もう一つは、感情の取り扱いがアサーティブであるということです。

アサーティブな自己表現は、深く「感じる」ところから始まります。別の言い方をすれば、まずは自分自身に対して「誠実」であることです。

誠実であるとは、自分の感情にフタをしません。自分の中のどんなに醜い感情であってもきちんと向き合って、自分は今、何を感じているかに耳を傾け自分の心の状態を受け入れる力のことです。その上で、それを表現する場合には、相手を傷つけるのではない表現方法を知っていることです。

そして最後に、考え方がアサーティブであるということです。

考え方、というのは、むしろ「信念(belief)」に近いでしょうか。自分自身をどのように見ているのか、相手をどのように見ているのかということです。

アサーティブな立ち位置というのは、相手と自分とに敬意を払い、相手が「○○だから(肌の色が違う、性別が違う、役職が違う、年齢が違う、など)」ということで、相手を下に見たり上に見たりせず、同じ人間として対等に見ることができること。また、自分に自己表現の権利があると同時に、相手にも同じく権利があることを、忘れないことです。

このように、態度、感情、そして考え方がアサーティブであることで、アサーティブな人間関係を築く力がついていくでしょう。単に「伝え方」や「話し方」のレベルだけではなく、自分自身と相手との向き合い方のトータルなものとして、アサーティブネスをとらえていただければと思います。

関係性が変わる時

先日ある講座で、参加者の一人の方がとても印象的な発言をされました。

パートナーとの関係をよりアサーティブなものにしたいということだったのですが、どうしても変えられない。ついつい、相手にガミガミ言ってしまったり、必要以上に相手をコントロールしては夫婦喧嘩になってしまう。

どうすればいいのだろうか。その人は考えました。

講座でロールプレイをくり返し、自分の気持ちの整理をしていきました。ロールプレイの中では、二人の関係がアサーティブなものへと変化していきました。

最初は相手を一方的に責める態度だったのですが、徐々に自分の気持ちに気づき、自分の中にある不安や怒り、悲しみに気づいて、相手と素直に向き合うようにしました。相手を責める代わりに、自分自身がどのような状態なのか、なぜ責めてしまうのか、相手を責めてしまう自分も実はつらいのだということなどを、静かに伝えられるようになったのです。

ロールプレイは大成功でした。その人は、帰ったらパートナーに伝えようと意気込んでその日を終わりました。

次回にその方に会ったとき、しみじみとお話をしてくださいました。

ロールプレイで取り組んだ課題を実際にパートナーに伝えようと思ったけれど、パートナーの顔を見ると伝える気持ちがすっかりなくなってしまっていたのだそうです。つまり、「相手はとんでもないやつだ」、「自分の気持ちをちっともわかってくれないやつだ」と見ている限り、心の中は相手を責める気持ちでいっぱいだった。しかし、相手がどうかではなく自分の気持ちを素直に見つめたら、相手を見る目も変わっていき、伝える必要がなくなってしまったのだ、と。

伝えた結果、相手との関係が変わるのではなくて、実は相手を見る目が変わった時点ですでに二人の関係は変わっていた、ということなのです。

アサーティブに「伝える」ことも大事です。でも、伝えたい気持ちの底にある相手への「見方」が、お互いの対等な関係の鍵を握っているのでしょう。

「『とんでもないやつ』として見るのをやめたら、なんだか自分が楽になって、相手を責める気持ちが消えました」。そう言って、すがすがしい笑顔を見せてくれました。

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