今週は3日間にわたって、とある大学の福祉学科の3年生たちに、「アサーティブトレーニング」の実践講義を行いました。
今回ゼミ形式で講義を受講してくれたのは20名。丸3日間の集中講義で大変でしたが、彼らの社会に対するまなざしや、コミュニケーションを取りたいという純粋な思いが伝わってきて、私自身たくさんのエネルギーをいただくことができました。
3年生のこの時期といえば、「就活」の時期。
すでに面接に行った学生たちも数名いて、「コミュニケーションの重要性を痛感した」と話します。自分の考えを述べるのが難しい、面接官に突っ込まれたら黙ってしまった、本当はこう言いたかったのに伝え切れなくて悔しかった、などなど。
実は、彼らが1年生の夏にも、コミュニケーションの基礎として集中講義を担当したことがありました。その時の彼らが、その後の2年間悩み、葛藤してきた様子を聞き、またなぜ福祉を選んだかのそれぞれの深い動機に触れ、私自身とても感動しました。
学生のコミュニケーション能力の必要性が言われて久しくなります。自分の意見を伝えられない、何を考えているかわからないなどの声を聞いていますので、今回は彼らにしっかりと自己主張の方法を学んでもらいました。
自分の気持ちや考えを整理し、自分と相手の権利を認識したうえで、「依頼すること」「断ること」「批判を受けること」そして「ほめること」など。ロールプレイをたくさん取り入れて、社会人になった時に係わらず今やっているバイトの場面で、自分の考えをきちんと述べ、相手の話に耳を傾け、そして対等に交渉ができるように何度も練習を行いました。
2日目にはゲストスピーカーに話をしてもらいました。私の長年の友人である、安積遊歩さんに来てもらい、彼女の“当事者”としての経験から「自分の尊厳を信じて、相手のことも大切にして、しっかりとものを言っていってほしい」というメッセージをもらって、学生たちは涙ぐみながら話を聞いていました。
彼らも学生時代は残すところあと1年。
これからの人生での色んな葛藤をしっかりと受け止めながら、今の優しさを自分にも相手にも注ぎながら、しっかりと生きていってほしいと、心の底から願っています。
学生たちとの三日間
権威的ではなく威厳をもって
英語でAuthorityというと、日本語では「権威」と訳されます。去年アン・ディクソン氏が来日した際も、彼女はよくアサーティブに話す時に、「with authority」(威厳をもって)と話していました。
ちなみに、日本語で「権威を持つ」ということと「威厳を持つ」ということとは、180度意味が違ってきます。
職場でマネジメントをする立場にいる人が権威的になると、“上の立場から”ものを言うことになり、上から下への一方通行のコミュニケーションが生まれます。
アサーティブであるということは、双方向のコミュニケーションですから、権威的になることなく、かつ“with authority”=「威厳をもって」相手と向きあうことです。
組織がピラミッド型からフラットに変化し、表面上は“対等”になってくると、組織の上位の人が権威的でなくなると同時に、威厳まで捨てて相手と“同じ目線”になろうとしてしまいます。ところが、上に立つものが同じ目線になろうとすると、かえって部下は混乱し、双方向のコミュニケーションが成り立たないことになってしまうのです。
団塊世代の、その次の世代である30代から40代のマネジャーは、このあたりで苦労しているようです(私も含め、です)。
50代以上のマネジャーであれば、権威をもって一方的に言えば済んでいました。“自分は正しい”というところから言えば、ことは済んでいたわけです。
ところがその下の世代のマネジャーたちは、ちょっと上のドッカン上司のようにはなりたくないと思うあまりに、権威と同時に威厳までも捨てて部下と接しようとします。その結果、「叱ることができない」、相手の気持ちを尊重しすぎるあまりに「きちんと注意できない」、相手に嫌われなくために「批判できない」ということになります。
権威的であることが立場からものを言うことだとすれば、威厳を持つとは、どんな立場であっても相手への敬意を忘れない、相手をひとりの人間として見ることができ、いつでも誰と向き合っていても、深い自己信頼に支えられているものであると思います。
上司として能力があることと同時に、人を見下さず、攻撃的にならないで、まっすぐに凛として立つ。
そんなマネジャーが増えていくことを望んでやみません。
ちなみに、日本語で「権威を持つ」ということと「威厳を持つ」ということとは、180度意味が違ってきます。
職場でマネジメントをする立場にいる人が権威的になると、“上の立場から”ものを言うことになり、上から下への一方通行のコミュニケーションが生まれます。
アサーティブであるということは、双方向のコミュニケーションですから、権威的になることなく、かつ“with authority”=「威厳をもって」相手と向きあうことです。
組織がピラミッド型からフラットに変化し、表面上は“対等”になってくると、組織の上位の人が権威的でなくなると同時に、威厳まで捨てて相手と“同じ目線”になろうとしてしまいます。ところが、上に立つものが同じ目線になろうとすると、かえって部下は混乱し、双方向のコミュニケーションが成り立たないことになってしまうのです。
団塊世代の、その次の世代である30代から40代のマネジャーは、このあたりで苦労しているようです(私も含め、です)。
50代以上のマネジャーであれば、権威をもって一方的に言えば済んでいました。“自分は正しい”というところから言えば、ことは済んでいたわけです。
ところがその下の世代のマネジャーたちは、ちょっと上のドッカン上司のようにはなりたくないと思うあまりに、権威と同時に威厳までも捨てて部下と接しようとします。その結果、「叱ることができない」、相手の気持ちを尊重しすぎるあまりに「きちんと注意できない」、相手に嫌われなくために「批判できない」ということになります。
権威的であることが立場からものを言うことだとすれば、威厳を持つとは、どんな立場であっても相手への敬意を忘れない、相手をひとりの人間として見ることができ、いつでも誰と向き合っていても、深い自己信頼に支えられているものであると思います。
上司として能力があることと同時に、人を見下さず、攻撃的にならないで、まっすぐに凛として立つ。
そんなマネジャーが増えていくことを望んでやみません。
ものを言うワーカーに
あけましておめでとうございます。
今年もアサーティブジャパンをよろしくお願いします。
年明けの5日の午後、全国各地から6名のソーシャルワーカーの会員メンバーが事務局に集まって、議論をしました。
テーマは「援助職とアサーティブネス」。
病院や地域の福祉団体、自治体や児童相談所などでソーシャルワーカーとして働く会員メンバーと共に、援助職が抱える問題は何か、アサーティブネスはそれらの課題に対してどのようなアプローチができるのかなどについて話しあいました。
大変盛り上がった午後でした。
その中で、社会福祉が「権利擁護運動」から「サービス」へと変化したこの10年の間の、ワーカーの意識の変化についての話が出ました。
私自身、学生だった20年ほど前、地域で自立生活をする障害当事者の24時間の生活を支えるために、ボランティアをしていたことがありました。週に何度も泊まりの介助をしながら、「人として当たり前に生活できること」を必死で考えていました。
その彼女は、自立5年目に、残念ながら亡くなってしまいました。
そうした強烈な体験が私にとっては社会福祉に関わる原動力となったのですが、今、社会福祉を目指す学生たちにコミュニケーションを教える時、「なぜ福祉を専攻したの?」という問いに対して、彼らは「就職できるから」と答えてくれます。
「社会福祉」が一つの“サービス”として、ある種スマートなイメージを持つようになったことは喜ばしいことだと思います。しかし、福祉はサービスだけではなく、当たり前の生活を保障する「権利」の考え方があってこそのことであると思えてなりません。
だからこそ、“受容”するだけでなく、“ものを言うワーカー”であってほしい。
人間の命を支えるために、しっかりと自己主張できるワーカーが増えてほしい。
利用者の権利を擁護して、アサーティブに主張できるようになってほしい。
現場でワーカーとして働く会員メンバーの話を聞きながら、新春早々、そんな思いを新たにした時間になりました。
今年もアサーティブジャパンをよろしくお願いします。
年明けの5日の午後、全国各地から6名のソーシャルワーカーの会員メンバーが事務局に集まって、議論をしました。
テーマは「援助職とアサーティブネス」。
病院や地域の福祉団体、自治体や児童相談所などでソーシャルワーカーとして働く会員メンバーと共に、援助職が抱える問題は何か、アサーティブネスはそれらの課題に対してどのようなアプローチができるのかなどについて話しあいました。
大変盛り上がった午後でした。
その中で、社会福祉が「権利擁護運動」から「サービス」へと変化したこの10年の間の、ワーカーの意識の変化についての話が出ました。
私自身、学生だった20年ほど前、地域で自立生活をする障害当事者の24時間の生活を支えるために、ボランティアをしていたことがありました。週に何度も泊まりの介助をしながら、「人として当たり前に生活できること」を必死で考えていました。
その彼女は、自立5年目に、残念ながら亡くなってしまいました。
そうした強烈な体験が私にとっては社会福祉に関わる原動力となったのですが、今、社会福祉を目指す学生たちにコミュニケーションを教える時、「なぜ福祉を専攻したの?」という問いに対して、彼らは「就職できるから」と答えてくれます。
「社会福祉」が一つの“サービス”として、ある種スマートなイメージを持つようになったことは喜ばしいことだと思います。しかし、福祉はサービスだけではなく、当たり前の生活を保障する「権利」の考え方があってこそのことであると思えてなりません。
だからこそ、“受容”するだけでなく、“ものを言うワーカー”であってほしい。
人間の命を支えるために、しっかりと自己主張できるワーカーが増えてほしい。
利用者の権利を擁護して、アサーティブに主張できるようになってほしい。
現場でワーカーとして働く会員メンバーの話を聞きながら、新春早々、そんな思いを新たにした時間になりました。