ご無沙汰しています。6月は本当に忙しい月でした。毎日のように出張にでかけていて、なかなか事務所に寄ることもままならない日々でした。7月を目の前にして、やっと一息ついているところです。
さて、<アサーティブに要求すること>と、<相手の権利を侵害しないこと>との境界線について、私自身迷うことがあります。特に身近な家族との関係となると、ついつい相手の境界線を踏み越えて自分の主張をしてしまい、反省することがよくあります。
病気の人には、「体に良い食べ物を食べてほしい」という希望を持ちます。体によい食べ物を食べる⇒健康、という構図が私の頭の中にあるからです。しかしその構図を絶対のものであると考えると、相手の自己決定権を侵害してしまうことになりかねません。
それを、「アサーティブに」言ってみようとすると、こんな風に整理されます。
事 実:体に良くない食事をしている
感 情:それを見ていると心配になる
要 求:だから、体に良い食べ物を食べてほしい
さて、この要求を伝えた後の「結果」とは何でしょうか。
「私が安心する」、のではないでしょうか。
それでは、これは一体、誰のための要求なのでしょうか。
考えてみれば、それは「自分が安心したいため」であって、相手の立場や気持ちを十分理解したものではない、きわめて自己満足的な要求だということがわかります。
重い病気を患っている人に、「健康で規則正しい生活をせよ」という「正論」を、健康な私がどんなに「アサーティブに」伝えたとしても、それは相手との対等な関係を生み出すどころか、ますます相手の心を閉ざしてしまうことになるでしょう。
正論で相手の口を封じることなく、相手の人生や自己決定権を尊重しながらも、自分の希望はあきらめずに伝えていくこと。アサーティブに自分の要求を伝えるチャンスは日常生活の中の様々な場面に転がっていますが、ふと気を許すと、単なる自己満足のわがままな視点からアサーティブに伝えようとしてしまう自分に気づくこともしばしばです。
何のために、なぜ、アサーティブに伝えたいのか。
言い過ぎてしまったり反省したりしながらも、それでも、一緒に話し合っていくことからしか答えは見えてこないのかもしれません。
日常の中のアサーティブネスが、本当に一番難しいです。だからこそ、実践あるのみなのでしょう。
日常生活が一番難しい
アサーティブネスは「傷つけない言い方」ではない
いつの間にか、日本社会はとても“傷つきやすい”社会になっているような気がします。
ちょっときつい言い方をしたら、相手が「傷ついた」。
仕事上でダメだと言ったら、「傷ついた」。
自分の気持ちをはっきり相手に伝えたら、「傷ついた」。
アサーティブトレーニングでも、「傷つけないものの言い方を学びたい」、という方が最近増えてきました。
しかしながら、誰かを「傷つけない言い方」というものは存在していませんし、何よりも、アサーティブネスとは「傷つけないものの言い方」ではありません。
どんなに「傷つけまい」としても、結果として傷つけてしまうことは、人と係わる中で山のようにあります。それは、知らなかったために傷つけてしまった、というような伝える側の問題もありますし、その言葉が自分の地雷であったという、受け取る側の問題であることもあります。
コミュニケーションを通して、私たちは「他者」と出会います。「他者と出会う」というのは、自分の枠をはみ出ることであり、枠をはみ出るということは「痛い」ものです。痛いのは当然であって、そこから初めて自分のことも相手のことも、本当に深く理解するプロセスが始まります。
傷つくことを避けて他者と出会うということは土台無理であるはずなのに、どうやら最近は「傷つけること」=「悪いこと」であるかのように理解され、「傷ついた」とさえ言えば相手を黙らすことができるような、そんな妙な使い方になっているように思います。
傷ついたのであれば、それはなぜかの原因に深く向き合うことが最初です。傷つけた相手が悪いと決めつける前に、なぜそのようになったのか、なぜその言葉が自分にとっては「痛い」のか、まずはしっかりと自分自身に問うことが最初のはずです。
その上で、「だからどうしたいのか」、「どのようにすればこの事態を解決することができるのか」ということを真剣に話しあうことが必要です。アサーティブなコミュニケーションが役に立つのは、そこのプロセスなのです。「その言葉には傷つくから、別の言葉にしてほしい」と伝えるのか、あるいは、「そんな言葉に傷つかないように自分の地雷を除去する」という自分自身の問題に向き合うか、方法は様々ですが。
アサーティブネスとは、たとえ傷ついた/傷つけてしまったとしても、お互いの間にある問題に向き合い、葛藤を抱えつつ、人間関係を継続していく力のことです。
どうぞ伝え方のハウツーではなくて、人間関係を築く力として、アサーティブネスを使っていってください。
ちょっときつい言い方をしたら、相手が「傷ついた」。
仕事上でダメだと言ったら、「傷ついた」。
自分の気持ちをはっきり相手に伝えたら、「傷ついた」。
アサーティブトレーニングでも、「傷つけないものの言い方を学びたい」、という方が最近増えてきました。
しかしながら、誰かを「傷つけない言い方」というものは存在していませんし、何よりも、アサーティブネスとは「傷つけないものの言い方」ではありません。
どんなに「傷つけまい」としても、結果として傷つけてしまうことは、人と係わる中で山のようにあります。それは、知らなかったために傷つけてしまった、というような伝える側の問題もありますし、その言葉が自分の地雷であったという、受け取る側の問題であることもあります。
コミュニケーションを通して、私たちは「他者」と出会います。「他者と出会う」というのは、自分の枠をはみ出ることであり、枠をはみ出るということは「痛い」ものです。痛いのは当然であって、そこから初めて自分のことも相手のことも、本当に深く理解するプロセスが始まります。
傷つくことを避けて他者と出会うということは土台無理であるはずなのに、どうやら最近は「傷つけること」=「悪いこと」であるかのように理解され、「傷ついた」とさえ言えば相手を黙らすことができるような、そんな妙な使い方になっているように思います。
傷ついたのであれば、それはなぜかの原因に深く向き合うことが最初です。傷つけた相手が悪いと決めつける前に、なぜそのようになったのか、なぜその言葉が自分にとっては「痛い」のか、まずはしっかりと自分自身に問うことが最初のはずです。
その上で、「だからどうしたいのか」、「どのようにすればこの事態を解決することができるのか」ということを真剣に話しあうことが必要です。アサーティブなコミュニケーションが役に立つのは、そこのプロセスなのです。「その言葉には傷つくから、別の言葉にしてほしい」と伝えるのか、あるいは、「そんな言葉に傷つかないように自分の地雷を除去する」という自分自身の問題に向き合うか、方法は様々ですが。
アサーティブネスとは、たとえ傷ついた/傷つけてしまったとしても、お互いの間にある問題に向き合い、葛藤を抱えつつ、人間関係を継続していく力のことです。
どうぞ伝え方のハウツーではなくて、人間関係を築く力として、アサーティブネスを使っていってください。