ここ最近、ビジネススキルの一つとして、アサーティブネスが大変注目されています。それはそれでいいのですが、スキル系に走る傾向に、私は「ちょっと待ってよ」と言いたくなるのです。
コミュニケーションといえば、話す技術、伝える技術、好かれる技術、プレゼン技術、(私自身も『「No」を上手に伝える技術』という本を書いていますが)、聞く技術などなど、こんなスキルを取得すれば必ずやあはなたコミュニケーションの達人!であるごとくの書籍が、書店に山積みになっています。
そんな現状を見ながら、やっぱり私はどこかで「まずいよ」と思っているのです。
スキル系は確かに役に立つ部分があります。アサーティブネスだって、シンプルで使いやすいコミュニケーションのスキルですし、伝えるポイントを身につければコミュニケーションは確かにうまくなる。
しかし、根本的な「人間関係とは何か」という土台がなくて、スキルもないだろうと私は思うのです。
20代の方々とお話ししていると特にそう思うのですが、「話が通じなければ人間関係を切ればいい」と考えている若い人たちの何と多いこと。確かに50代の団塊世代のオヤジたちのくだらない愚痴や文句を聞くために飲み会につき合うのはごめんだという気持ちも、私はよーくわかります。
しかし、じゃ、つき合わなくていいのかというとそうでもないでしょう、とも思うのです。
「人間関係とは何か」という根本的な哲学があってこそ、スキルも生きてくるはず。
いやでもつき合う、話が通じなければけんかもする、とことん議論する、一月くらいして自分の非を理解して相手に頭を下げる、自分の至らなさに歯ぎしりする。
そんな一つひとつの泥臭い作業をしない限り、本当の相互理解などできっこない。
そのためにこそコミュニケーションはあるのだし、試行錯誤しながら葛藤しながら「それでも話し始める」しかないのではないでしょうか。
ビジネスのスマートなスキルだけではなく、泥臭い人間関係をどうして、なぜ、持つ必要があるのか、そんな哲学についてもしっかりと考えていただければと思っています。