先日から、感情を言語化するというプロセスについて書いていますが、アサーティブネスでは、必ずしも「言語化する」ことが全てではありません。
気持ちというのは、言葉だけでなく、身体全体から伝わってくるものでもあるからです。
実は今週から、実家の岡山に帰っています。認知症の父が急きょ入院することになり、介護疲れの母のサポートに入ることになりました。
父はもう長い間耳が聞こえないため、沈黙の中に生きています。「言語を介して理解する」ということは不可能に近くなっていますが、彼の中で「感情」が今も豊かに存在しているのがよくわかります。
不機嫌だったり、困惑していたり、嬉しかったり、穏やかだったり。
不思議なことに、父は周りの人間の感情にとても敏感で、どんなに顔がニコニコしている看護師さんでも、態度がピリピリしていると、それに反応します。本当にゆったりして落ち着いて話しかけてくださると、父も穏やかな顔になり、体を任せてくれます。
私の顔を見た時の父は、誰かなあ・・・といった表情から、ふっと、自分の娘であるということがわかったのでしょう。ふうっと顔を緩めて、ゆっくりとうなずいてくれました。
毎日のように、夕暮れの病院内を、ゆっくりと車いすを押しながら散歩をしました。
言葉は、もう、ありません。
でも、父の気持ちはなんだかわかるのです。
昨日はとっても不機嫌でしたが、今日の彼はとても穏やかでした。
これまでこんなに父の顔を見つめたことがあっただろうかと思うくらい、食べるときも歩くときも父の顔を見つめながら、ちょっとした表情や、目の動きや、口の動きから、少しでも父の気持ちを理解したいと思っていました。
そんなコミュニケーションもあるのですよね。
言葉も大切ですが、非言語の部分も本当に大切です。
言葉にならない思いにも、耳を傾ける必要があるのでしょう。
人はどのように生き、そして死ぬのでしょうか。
そんなことを、秋の美しい夕焼けの空を見ながら、考え続けた日々でした。