今年も母校の学生の授業が始まりました。授業といっても、「まちづくり」のテーマのもと、地域の人たちとしっかりコミュニケーションがとれることを学ぶ連続講座です。
大学によって学生のカラーが異なり、いつも大変面白いと思うのですが、今度の大学の特徴は「効率的に考えて最短距離を選ぶ」という学生たちばかり。経済学部や商学部が有名なここの大学の学生たちは、議論でもえてして、どうすれば効率的に問題解決ができるのかという視点が多いようです。
学生に限らず全体的に若い世代は、「いかにスマートに、効率的に、短い時間でやるか」という傾向が進んでいるようです。しかし、これで本当にいいのだろうかと私は疑問に思っています。
必要な情報はネットからすぐに引き出せる今の時代、学生たちは図書館に通うことなく、インターネットからぱっと情報収集して自分に必要な情報を取捨選択していきます。図書館で苦労して本を探し、目当ての情報を探し出すまで難解な本を読み進めるということは、もはや過去のこととなりました。
でも、そんなに簡単に答えは出るのでしょうか。社会のいろんな問題は、効率的にスマートには解決できないものばかり。特に人間関係は、人間の感情を扱っている限り自分がこうだといってすぐに答えが出るものではありません。
私が学生時代をすごしたのは、すでに20年も前のこととなります。
あのとき自分の葛藤する力を磨いてくれたのは、強烈な「他者」との出会いでした。
最初の「他者」は、障害を持つ友人たちでした。全く価値観が違い、文化も考え方も違う彼女たちに出会い、学生特有の理想や思想のお題目など、あっという間に吹き飛ばされてしまいました。頭で考えて答えが出るのではなく、命そのものと向き合いながら、生きることを生で体験しつつ手探りして答えを探し求めること。
あのとき人間関係を築くことに苦労したことが、後の自分の人間関係力を磨いてくれたと、本当に思います。その後、海外で過ごしたときも、「他者」と出会う強烈な経験をいくつもしました。
アサーティブトレーニングが体験をベースとしたトレーニングであることは大切なのですが、それもこれも、現実の他者との「通じなさ」「わからなさ」「理解できなさ」の葛藤があってこそのトレーニングです。
学生たちが現実の生活の中で、「他者」と出会い、葛藤し、「通じない体験」を超えて、それでも話していこうという希望を持ってくれることを願いながら、短い講座を楽しむことにしようと思います。
「他者」との出会い
男らしさが変わってきた
この10年間でずいぶん変化したなあ思うことは色々ありますが、一つは、若い男性たちの育児へのかかわり方は本当に変わってきたように思います。
企業での研修の際、30歳前後の男性に「仕事以外で好きなことは何ですか」と聞くと、「子どもと遊んでいるとき」、「ベビーカーで公園を散歩しているとき」などの答えが返ってきます。
路上でも若いパパが子どもをだっこして、誇らしげに歩いているのも頻繁に見かけるようになりました。
10年くらい前までは、研修のような公の場で、たとえそう思っていたとしても育児について口に出す男性はほとんどいませんでした。せいぜい趣味のこととか「呑みに行くこと」が主でした。しかし、最近は家族のことや子どものことを堂々お話される方が、本当に増えてきています。
昨日も、一人の会員トレーナーが話をしてくれました。彼女は仕事一筋でバリバリ仕事をしてきましたが、最近年下の彼とつき合うようになり、結婚を考えるようになりました。
「子どもは君がみてほしい」と話した彼に、彼女は言ったそうです。
「私はあなたに、職場で男性として育児休暇をとる第一号の人になってほしい」
1週間ほど彼は考え込んでいましたが、職場の上司に結婚する旨を告げ、「その際には、育児休暇を取らせてください」と話し、上司に許可をもらったというのです。
彼女は、「まだ結婚もしていないのに・・・、走りすぎだよ」と苦笑いしていましたが。
男性が育児をすることが、必ずしも“かっこ悪い”ことではなくなってきたのが、7,8年ほど前でしょうか。当時の厚生省が育児キャンペーンでSAMさんをモデルとし「育児をしない男を、父とは呼ばない」というコピーで大いに話題となりました。あの頃を境として若いパパたちが、子どものことについて自然に言葉にするようになったような気がしています。
とはいえ、家事の比重は男女の間で決して平等にはなっていません。アサーティブトレーニングでも、妻から夫へ「もっと家事を手伝って」という要求がよく出されます。
それでも、“男は黙って”という時代が変わり、二人で“話し合って決めていく”時代になってきたことは、本当に喜ばしいことだなと思うのです。
企業での研修の際、30歳前後の男性に「仕事以外で好きなことは何ですか」と聞くと、「子どもと遊んでいるとき」、「ベビーカーで公園を散歩しているとき」などの答えが返ってきます。
路上でも若いパパが子どもをだっこして、誇らしげに歩いているのも頻繁に見かけるようになりました。
10年くらい前までは、研修のような公の場で、たとえそう思っていたとしても育児について口に出す男性はほとんどいませんでした。せいぜい趣味のこととか「呑みに行くこと」が主でした。しかし、最近は家族のことや子どものことを堂々お話される方が、本当に増えてきています。
昨日も、一人の会員トレーナーが話をしてくれました。彼女は仕事一筋でバリバリ仕事をしてきましたが、最近年下の彼とつき合うようになり、結婚を考えるようになりました。
「子どもは君がみてほしい」と話した彼に、彼女は言ったそうです。
「私はあなたに、職場で男性として育児休暇をとる第一号の人になってほしい」
1週間ほど彼は考え込んでいましたが、職場の上司に結婚する旨を告げ、「その際には、育児休暇を取らせてください」と話し、上司に許可をもらったというのです。
彼女は、「まだ結婚もしていないのに・・・、走りすぎだよ」と苦笑いしていましたが。
男性が育児をすることが、必ずしも“かっこ悪い”ことではなくなってきたのが、7,8年ほど前でしょうか。当時の厚生省が育児キャンペーンでSAMさんをモデルとし「育児をしない男を、父とは呼ばない」というコピーで大いに話題となりました。あの頃を境として若いパパたちが、子どものことについて自然に言葉にするようになったような気がしています。
とはいえ、家事の比重は男女の間で決して平等にはなっていません。アサーティブトレーニングでも、妻から夫へ「もっと家事を手伝って」という要求がよく出されます。
それでも、“男は黙って”という時代が変わり、二人で“話し合って決めていく”時代になってきたことは、本当に喜ばしいことだなと思うのです。
夏の集中研修
8月13日から15日まで、アサーティブジャパン事務局で集中研修を行いました。会員トレーナーを対象とした実践トレーニングで、北海道から南は九州まで、全国各地からトレーナーの方々が集まってくださいました。
朝9時から夜7時半までのスケジュールの中、頭がボーっとしながら必死で励ましあった3日間。参加されたみなさん、本当にお疲れ様でした。大変ハードな内容でしたが、私たちもたくさんのことを学ぶことができました。
このような集中トレーニングを行うようになったのは、「アサーティブネス」、「アサーティブ」、「アサーション」などの言葉が市民権を得て、全国各地の多様な団体から講座のご依頼を受けるようになり、ますますアサーティブネストレーナーとしての専門性の必要性を痛感するようになってきたからです。
3年以上も前のことになりますが、アサーティブネスが医療職(特に看護師)にどのような効果があるのかという調査を、産業医の先生と行ったことがありました。
ストレス度の高い看護職にとって、アサーティブトレーニングを受けることはどのようなストレスの軽減になるのか、認知行動のどのような変化をもたらすのかを、ある病院を対象に実施いたしました。
トレーニングの結果、看護職にあっては、「アサーティブコミュニケーション度」「セルフエスティーム度」が上昇し、同時に、「自己統合感」にも有意な差が見られたことがわかりました。
自己統合感とは、言うなれば、自分の行動が首尾一貫している感覚であったり、“打たれ強くなること”なのですが、なるほどアサーティブネスはそういうことなのかと納得したのを覚えています。
このような専門的知識も持った上で、アサーティブネストレーナーとして社会の様々な要請に応えていくという使命を、私たちは持っています。社会の変化とともに、私たちへの期待も大きくなってきたなあと、背筋がぴんと伸びるような気持ちです。
トレーナーの方々にとっては、これから実地訓練が待っています。3日間本当にお疲れ様でした。そしてこれからもがんばってください。
朝9時から夜7時半までのスケジュールの中、頭がボーっとしながら必死で励ましあった3日間。参加されたみなさん、本当にお疲れ様でした。大変ハードな内容でしたが、私たちもたくさんのことを学ぶことができました。
このような集中トレーニングを行うようになったのは、「アサーティブネス」、「アサーティブ」、「アサーション」などの言葉が市民権を得て、全国各地の多様な団体から講座のご依頼を受けるようになり、ますますアサーティブネストレーナーとしての専門性の必要性を痛感するようになってきたからです。
3年以上も前のことになりますが、アサーティブネスが医療職(特に看護師)にどのような効果があるのかという調査を、産業医の先生と行ったことがありました。
ストレス度の高い看護職にとって、アサーティブトレーニングを受けることはどのようなストレスの軽減になるのか、認知行動のどのような変化をもたらすのかを、ある病院を対象に実施いたしました。
トレーニングの結果、看護職にあっては、「アサーティブコミュニケーション度」「セルフエスティーム度」が上昇し、同時に、「自己統合感」にも有意な差が見られたことがわかりました。
自己統合感とは、言うなれば、自分の行動が首尾一貫している感覚であったり、“打たれ強くなること”なのですが、なるほどアサーティブネスはそういうことなのかと納得したのを覚えています。
このような専門的知識も持った上で、アサーティブネストレーナーとして社会の様々な要請に応えていくという使命を、私たちは持っています。社会の変化とともに、私たちへの期待も大きくなってきたなあと、背筋がぴんと伸びるような気持ちです。
トレーナーの方々にとっては、これから実地訓練が待っています。3日間本当にお疲れ様でした。そしてこれからもがんばってください。
時間はかかっても
先日、ある協会での講演を担当させていただいたときのこと。お話のプロの方々が大勢集まってこられたその研修会で、アサーティブなコミュニケーションとは何かということをお話しさせていただく機会がありました。
私の前にお話されたご年配の役員の方が、講師の先生方に、「話すことのスキルもあるけれど、これからは、心が通じ合えることをどのように教えるのか、つまり人間力を育てていくということです」とお話されていました。
そのお話に大変感動すると同時に、アサーティブネスが目指していることと同じことなのだなあと確信することができました。
アサーティブネスとは、自分の気持ちや要求を率直に伝えることのできるコミュニケーションスキルであると同時に、自分と相手との人間関係力=信頼関係を育む力でもあるからです。
ここで言う人間関係力とは、コミュニケーションをとりながら人間関係を作っていく力のことです。
以前も、当団体の理事の一人が、アサーティブネスとは平和に向かう一人ひとりの運動であると表現したことがありました。暴力でも戦争でもなく、対話を通じて問題解決をしていこうという、私たちの心構えであり、その具体的方法であるのだと。
その意味でアサーティブネスとは人権尊重の思想です。たとえ立場が違ってもお互いの人間としての尊厳を大切にしたうえで、対話をしようという考え方なのです。
世の中で、「○○すれば、うまくいく」「こんな風に言えば相手はウンと言う」などの、“すぐできる”スキルが氾濫している今、時間はかかっても“話し方の中の人間力”というアプローチについて話をしてくださった協会の役員の方に、私は深く頭を下げておりました。
粘り強く、人間としての尊厳を忘れないで、お互いに対等な関係を作っていこうと努力し続けること。時間はかかっても、とっても大切なことではないかと思うのです。
私の前にお話されたご年配の役員の方が、講師の先生方に、「話すことのスキルもあるけれど、これからは、心が通じ合えることをどのように教えるのか、つまり人間力を育てていくということです」とお話されていました。
そのお話に大変感動すると同時に、アサーティブネスが目指していることと同じことなのだなあと確信することができました。
アサーティブネスとは、自分の気持ちや要求を率直に伝えることのできるコミュニケーションスキルであると同時に、自分と相手との人間関係力=信頼関係を育む力でもあるからです。
ここで言う人間関係力とは、コミュニケーションをとりながら人間関係を作っていく力のことです。
以前も、当団体の理事の一人が、アサーティブネスとは平和に向かう一人ひとりの運動であると表現したことがありました。暴力でも戦争でもなく、対話を通じて問題解決をしていこうという、私たちの心構えであり、その具体的方法であるのだと。
その意味でアサーティブネスとは人権尊重の思想です。たとえ立場が違ってもお互いの人間としての尊厳を大切にしたうえで、対話をしようという考え方なのです。
世の中で、「○○すれば、うまくいく」「こんな風に言えば相手はウンと言う」などの、“すぐできる”スキルが氾濫している今、時間はかかっても“話し方の中の人間力”というアプローチについて話をしてくださった協会の役員の方に、私は深く頭を下げておりました。
粘り強く、人間としての尊厳を忘れないで、お互いに対等な関係を作っていこうと努力し続けること。時間はかかっても、とっても大切なことではないかと思うのです。
新入生とつきあう
新年度に入り、新入生にアサーティブネスを教える季節になりました。私たちは、大きく分けて春と秋に、大学1年生にアサーティブネスを教える授業を担当しています。
大学1年生という学生たちの特徴やコミュニケーションのくせはそれなりにわかってきたものの、それでも私自身は新しい1年生を担当するごとに、一体コミュニケーションの何を教えようかと困惑しています。
困惑の一つは、時代の変化です。新入生を前に、自分はつくづく「前世紀の人間だ」と思います。私自身が学生の時代は、小難しい本を読んだりバックパックを背負って海外に飛び出して自分の目で世界の動きを感じてみたり、大人社会に反抗して議論を吹っかけたりしていました。
しかし、2年前くらい前からでしょうか。学生を相手に「私が学生だった頃は、ヨーロッパが激動している時代で・・・」、「東西の冷戦やベルリンの壁があって・・・」、などの話をしても、「そんな昔の歴史の話、私、知らない〜」と、冷ややかなまなざしで見られたことがありました。
女性解放も黒人の人権擁護の運動も、彼女たちにとっては半世紀も昔のことになるのですね。彼女たちが生まれたのは1980年代最後、昭和が終わって平成の時代になったときです。その人たちに、昭和の時代の話や20世紀の物語を語っても、ぴんと来ないのは当然なのかもしれません。
困惑のもう一つは、携帯電話の普及によって、「対面して」話をすることの必要性が全くわかってもらえないことです。嫌いになったらメールアドレスを変えればいい、嫌だったら返信しなければいい。表面的に自分の気持ちをメールで伝えることはあっても、しっかり顔を突き合わせて議論するなど、もってのほかになっているようです。
ですので、学生さんたちを対象としたアサーティブネスは、「権利の主張の方法」などではありません。「コミュニケーションをなぜとらなければならないのか」、「なぜ嫌いな人と関係を切る前に、きちんと話し合うことが必要なのか」。
コミュニケーションの動機づけの、初めの一歩を教える程度で終わります。
前世紀の私としては、平成生まれの学生さんたちを前に、毎年ひそかにため息をつくばかりです。
大学1年生という学生たちの特徴やコミュニケーションのくせはそれなりにわかってきたものの、それでも私自身は新しい1年生を担当するごとに、一体コミュニケーションの何を教えようかと困惑しています。
困惑の一つは、時代の変化です。新入生を前に、自分はつくづく「前世紀の人間だ」と思います。私自身が学生の時代は、小難しい本を読んだりバックパックを背負って海外に飛び出して自分の目で世界の動きを感じてみたり、大人社会に反抗して議論を吹っかけたりしていました。
しかし、2年前くらい前からでしょうか。学生を相手に「私が学生だった頃は、ヨーロッパが激動している時代で・・・」、「東西の冷戦やベルリンの壁があって・・・」、などの話をしても、「そんな昔の歴史の話、私、知らない〜」と、冷ややかなまなざしで見られたことがありました。
女性解放も黒人の人権擁護の運動も、彼女たちにとっては半世紀も昔のことになるのですね。彼女たちが生まれたのは1980年代最後、昭和が終わって平成の時代になったときです。その人たちに、昭和の時代の話や20世紀の物語を語っても、ぴんと来ないのは当然なのかもしれません。
困惑のもう一つは、携帯電話の普及によって、「対面して」話をすることの必要性が全くわかってもらえないことです。嫌いになったらメールアドレスを変えればいい、嫌だったら返信しなければいい。表面的に自分の気持ちをメールで伝えることはあっても、しっかり顔を突き合わせて議論するなど、もってのほかになっているようです。
ですので、学生さんたちを対象としたアサーティブネスは、「権利の主張の方法」などではありません。「コミュニケーションをなぜとらなければならないのか」、「なぜ嫌いな人と関係を切る前に、きちんと話し合うことが必要なのか」。
コミュニケーションの動機づけの、初めの一歩を教える程度で終わります。
前世紀の私としては、平成生まれの学生さんたちを前に、毎年ひそかにため息をつくばかりです。